『日本医術講義録』第1篇 完全営養食 昭和10(1935)年

七、完全営養食
『日本医術講義録』第1篇、昭和10(1935)年

これから説く営〔栄〕養食は、日本人を基礎としたものである。今、人間の食物を二大別すると、植物性食餌と動物性食餌とである。今、この植物性食餌から説いてみる。
肉体の血になり、肉になる営養素は、植物性食餌即ち穀類野菜であって、単に、肉体を養うだけの意味から言えば、植物性食餌のみで充分なのである。しかし、人間は、社会生活の必要上、ただ生きる以外、智慧、元気、発展向上心、あらゆる欲望、それらがなくてはならない。そういう意志想念を湧出するに力あるのが、動物性食餌の役目である。故に、都会生活者は、その必要から動物性食餌を多く摂る事になり、反対に、農村人は、植物性食餌を多く摂るという事は、実に自然によく出来ているのである。であるから一度病気に侵された時は、野菜食を多く摂るのが合理的である。病気に罹れば、智慧を揮い、元気や欲望の必要がないので、反って、病気の為の熱や苦痛の為、肉体的要素が衰弱消耗するを以て、それを保〔補〕給する必要上野菜食に限ると言ってもいいのである。しかるに何ぞや、今日の営養学は、病気に罹るや、反って、平常よりも肉食を多く摂らせる為、病気に依る肉体消耗へ拍車をかける様なもので、その謬(あやま)れるのはなはだしきは実に恐るべき事なのである。
天地間、森羅万象、あらゆる物の生成化育は、陰陽の理に外れるものはない。昼と夜、夏と冬、天と地、火と水、男と女という様な訳であって、食物にも又陰陽があるのである。
穀類で言えば、米は陽にして、麦は陰である。人種から言えば、日本人は陽で、西洋人は陰である。日本人が米を食い、西洋人が麦を食うのはこの理によるのである。故に、日本人は、米を主食とするのが本当であるから、もし、止むを得ざる時は、米より麦の方を少く食えば差支えないが、麦の方を多くするという事は絶対不可である。又植物性食餌を陰陽に分ければ、穀類が陰で、野菜類が陽である。野菜の中にも陰陽があって、根とか実とか、白色、赤色、黒色とか言うものは陽であり、菜の類、葉の類、すべて青色の物は陰である。大根の白い根が陽であり、青い葉が陰である。故に、理想から言えば、その時と場合に応じて、陰陽を按配(あんばい)よく摂取するのがいいのである。
魚は陽であり、野菜は陰で、鳥は陽であり、魚は陰である。これらをよく考えて、その人々の生活に、当てはめてゆけば間違いないのである。男子は外へ出て、智慧や元気を揮うのであるから、動物性食餌と、植物性食餌と半々位が良く、婦人は内に居て、体的活動が多いのであるから、植物性七分、動物性三分位が最もいいのである。近来、上流婦人にヒステリーが多くなったのは、動物性を多く摂り過ぎる為なのである。
次に、牛乳について、是非、注意したいのである。小児ならイザ知らず、青年以上になっても、牛乳を飲用する人があるが、これらは、実に、謬れるもはなはだしきものである。何となれば、歯は、何の為に生えているのであるか、勿論、物を咀嚼(そしゃく)する為である。赤児は歯がない為に乳を飲むので、立派に歯のある者が呑むという事は、いかに天理に外れているか判り切った話である。もし、大人が赤児と同じく、乳を飲むとすれば、赤児と同じく、立って歩かないで這って歩くのが当然ではないか。こんな判り切った事さえ判らない、文明人というものは実に、愚かな者であると思うのである。牛乳を飲むのは間違っているが、食物の味、例えば珈琲(コーヒー)に入れるとか又は、菓子や料理に使用する位は差支えないのである。日本人が牛乳を飲むと体力が衰えるのである。私は牛乳常用者へ、この害を説いて、飲用中止した為、健康を増加した者の、余りに多いと言うより、ほとんど全部という方が、当っている事実を、ここに報告するのである。

 

やっと、万病一元論に辿り着く!・・・やったぁ!

http://www.rattail.org/mobile/search1/ma/manbyo.html より~

十二、万病一元論
『日本医術講義録』第1篇、昭和10(1935)年

病気の原因は、霊体の曇りであり、曇りの原因は罪穢であるという事は、各項において述べた通りであるが、今一つ、ここに、科学的に電子説を藉(か)りて述べる事にする。あらゆる物質は、陰電子と陽電子、即ちミクルトンとエレクトンとの両電子の運動によって原子が生れ、その原子の集合体が分子であり、それが物質の原素であるという所までは、科学に依って明らかになったのであるが、この病気の元素も同一の理に依って説明が出来るのである。某ドクトルが、万病はすべて梅毒が原因であるという説を称えているが、これらも一理あるのである。
そもそも、病気一切は、霊の方面から言えば、曇であり、体の方面から言えば膿である。今、霊の方面より述べんに、電子説が称(とな)える陽電子エレクトン一個へ対し、陰電子ミクルトンが八つの数を以て、非常な速度で、左進右退しつつ廻転しておるというのであるが、それは、全く事実であって、あらゆる森羅万象は、結成の場合の活動は左進右退であり、解体のそれは右進左退である。この理を以て、光のリズムは左進右退にして、暗黒のそれは右進左退である。善は左進右退にして、悪は右進左退である。太陽の光は、熱にして左進右退であり、月光は冷にして、右進左退である。故に、森羅万象は左進右退と右進左退との、交互錯綜に依って明暗熱冷、陽陰、火水、男女、その他、あらゆる形体が結成と解体、創造と破壊を繰返されつつ、進化しつつあるのである。
ここに、霊体の一部に、曇が生ずるとする。霊体全部は左進右退に係わらず、曇の部分は右進左退のリズムに変化するのである。即ち、右進左退は破壊であり、暗黒であるから、その部分は潰滅運動を起すのである。言い換えれば、一部分が潰(つい)えの道程を辿(たど)り始めるのである。それが、全身的に拡充されたる暁が死である。故に、曇が部分的の時に、霊光に照らされれば、容易に潰滅して、健康は恢復するのである。この曇にも、濃淡、種別、形状の、千差万別あるは勿論である。ちょうど、大空に漂う雲の変化と、ある意味において、同じ点もあるのである。
次に、体的方面を説かんに、曇の物質化は膿である。この膿は、ちょうど、物質を形成する電子でもあるが、ただ違うのは、電子は左進右退によって、無から有を生ずるに反し、これは、有を無に変ぜしむるのである。人体を構成している物質は有である。その筋肉臓器骨等を無に還元するところの右進左退の破壊作用が行われるのである。即ち、膿その物は、肉体を潰溶すべき性能の物質である。それは、霊体の曇の右進左退に追随するのであるから、病気治癒の原則は、霊体の曇の解消より外には、断じて無いのである。序(ついで)にいわんに、曇の根元は、度々言う通り、罪穢であるから、その罪穢なるものは悪であり、悪は、右進左退のリズムであるから、相応の理によって、終局において、そのままのリズムが、病気となって現わるるのである。
故に、膿にも、各種の段階があって、稀薄にして、弱勢なる物は普通の膿であるが、それが濃度を益(ま)す場合、結核であり、一層濃度を増し、頑固性になった物が癌である。しかし、これは、別の方面から言わなければ徹底しないのである。即ち、膿の弱勢という事は、肉体の方の活力の強い為であり、膿の強性となるのは、肉体の活力が衰えている訳になる。この理を以て、最初、弱性であった膿も、永い病気の裡(うち)に、肉体の衰弱を来し、ついに強性に変化するという事が少くないのである。この理を、医家は知らざるが故、腫物の発生するやその産物を散らさんと、氷で冷し、又は、散らす性能の薬剤塗布を行うのである。しかるに、これが恐るべき誤法にして、折角、自然に腫れて、膿汁が排出すれば、容易に治癒すべき腫物を、この誤法の結果、腫るる機会を失うを以て、その膿汁は、他の方面を求めて腫るるのである。かくのごとくなれば、その腫物は、大抵の場合、数ケ所に現わるるのである。しかるに、この際は、患者は、相当の衰弱状態になるを以て、膿汁を出す程に腫るる勢なく、荏苒(じんぜん)日を経るに従い、漸次、衰弱の度を増し、生命を失うまでに到るのである。
かくのごとく薬剤のいかに恐るべきかを説いたのである。故に人間の肉体内に絶対薬剤を入れざれば、血液は純潔なるを以て頗る健康を保持さるるのである。私の説を聴いて覚醒し薬剤から全く離れたる人が時日の経るに従い年々健康を増進する事実は例外がないといっても宜(よ)いのである。百の理論よりも一の事実にしかず。国民の保健上到底黙視する事は出来ないのである。もし統計が作られるならば、結核よりも伝染病よりも、この薬剤中毒の為にたおれる者の数の方が幾層倍多い事であろう事は私は断言し得らるるのである。