船瀬俊介の船瀬塾 – 日本人の胃袋は欧米列強やアメリカの謀略により変

 

多くの日本人は、こんな食生活スタイルが、自然にできあがったと思っているかもしれない。 … 仏教の殺生戒の教えで自然や動物を大切にする思想観から肉食は卑しいと考えられ憚られていた。 … しかし、日本人の生活習慣には、それで十分だったのである。

 

 

 

 

日本人の胃袋は欧米列強やアメリカの謀略により変えられた。いま、三度の食事がほとんどご飯だと言う人は、そう多くはあるまい。ほとんどの人は日に一度か二度はパンか麺類。そして肉。つまり、小麦製品や肉食が主流となっているのではないか。

多くの日本人は、こんな食生活スタイルが、自然にできあがったと思っているかもしれない。しかし、実は、巧妙に考えられた戦勝国アメリカの戦略による結果なのだ。何千年(天皇家とつながっている人たちから聞いた話では何十万年らしいが)と続いた米食民族の嗜好を根本から変えるための徹底したマーケティングが行われ、綿密なシナリオが実行されていたのである。

日本人はもともと肉を食べていなかった。仏教の殺生戒の教えで自然や動物を大切にする思想観から肉食は卑しいと考えられ憚られていた。また、お米と発酵食品、野草を中心とした和食文化の長い歴史が、肉を摂らずとも戦や農作業などを元氣にこなしてこれたことを示唆している。

近代営養学の基本は、明治に導入されたドイツ営養学がルーツだ。フォイト博士によって確立されたことから、フォイト営養学と呼ばれる。この営養学にもとづく理想値と、田村良純の調査(1886年)による越後谷雇人の食事とを比較すると、前者では1日1人あたりのタンパク質は118g、脂肪は56g、エネルギーは2976kcalに対し、後者はタンパク質55g、脂肪5g、エネルギー1850kcal。明治時代の日本人の食事はかなり低タンパク・低脂肪、低カロリーだ。しかし、日本人の生活習慣には、それで十分だったのである。

日本人に牛肉を食べる習慣ができたのはごく最近のことである。江戸時代の弘化四(1847)年の、「神代の余波」という文献には「猪、鹿の類を食らう人、稀なり。しもざまの卑しき人も、密かにて食らいて人には言わず、肩身に恥ありき」と書いてある。要するに、「猪とか鹿を食らう人は卑しい者だ」とはっきり書いてある。猪の肉は「牡丹」、鹿の肉は「紅葉」と隠語を用いていたし、肉を食べることは「薬食い」と呼ばれていた。こそこそコソコソと一部の変態が食べるような、今でいうゲテモノ食いみたいな感じだった。当時、肉を食べさせるお店の名前は「ももんじ屋」と呼ばれた。「ももんじ」とは、毛の生えた化け物という意味である。 化け物を喰らうという卑しい感覚だったのだ。

要するに、昔の日本人には肉は必要なかったし、食べていなかった。そもそも日本人は肉を食べずともけっして体力不足だったわけではない。1876年に来日したドイツのベルツ博士は、東京から日光まで一日で走り通す人力車の車夫のスタミナに驚愕していた。ところが、当時のドイツ営養学にもとづく肉類中心の食事をこの車夫に摂らせ毎日40Km走らせたところ、三日目にして疲労の激しさに走れなくなったという。

また、戦時中に何日間もご飯を食べなかった兵士が、帰還後に肉を食べたり、断食後の復食期間中に大量の動物性たんぱくを摂ってしまったことで命を落としたという例もある。肉というのは非常に体に負担をかけることは経験上もよく知られている。

「腐」という漢字には、五臓六腑の府に肉が入ると腸が腐るという由来がある。腸管造血説を唱える森下・千島学説でも、肉食は腸を汚し、血液を汚すと証明されているが、形霊としての漢字でも、我々の祖先は肉が体にとって負担になることを教え伝えてきたのである。

表向きに肉を食べるようになったのは、明治になってから。高々130年ほどの歴史しかない。しかも、食文化の自然な流れで習慣づいたのではない。そこには政治的な背景があったのだ。つまり、明治維新によって、富国強兵、殖産興業という新政策が打ち出され、欧米に追い付き、追い越せと西洋化が進められた一環として、「牛肉を食べる」ことも奨励され、一般化していったのである。

ところが、肉食導入当初は、「牛肉を食べると牛になる」とか、「肉を喰らうと西洋人のような顔になる」と庶民は囁きあっていた。政府は牛肉を売る店に「官許」の二文字を入れた看板を立てさせ、懸命にPRした。それでも、肉を食べる習慣は思惑通りに広まらなかった。そこで政府が打ったのが「天皇の肉食宣言」である。1873年1月24日、「明治天皇が肉料理を召し上がった」ということをPRしたのだ。

もう一人、日本人の牛肉信仰に大きな役割を果たしたのが福沢諭吉である。福沢は脱亜入欧を説いた。そして、「最上の肉は牛肉にてござ候。その次は豚、その下は鶏、・・・」などと牛肉を奨励した。「天は人の上に人を作らず」といった人の言葉かと疑うが、江戸時代の食生活を否定し、肉と言えば豚という中国の文化を否定して、先進国である欧米のライフスタイルを礼賛するならば、牛肉がなにより上等ということにならざるをえなかったのかもしれない。

かくして、日本人の頭には、「牛肉は上等だ」という刷り込みが行われた。以来、100年以上、日本人は牛肉と聞けば、「高い」、「上等」の肉と連想し続けてきたわけだ。

列強の植民地政策の基本は同化政策であった。現地の文化、価値、行動様式を本国と同じように変えさせる。それによってマーケットは拡大し、本国はそれを占領し、富を収奪することができるのである。つまり、軍事的占領は文化的占領を意味し、文化的占領は経済的占領につながるのだ。実際、風俗刷新を急いだ明治政府のやり方は、戦後GHQによる占領政策と非常に共通する。明治天皇の「肉食宣言」は昭和天皇の「人間宣言」に通ずる。その「肉食宣言」を切り札にしていっきに国民に牛肉食を広めていったやり方は、戦後の食生活改善普及とまったく同じだ。

戦後はGHQの指導の下、キッチンカーキャンペーン、パン作り職人養成、教育委員会買収により学校給食を導入し、パンと牛乳、そして付け合せとしての肉食普及を加速させていった。

漢字の「気」は戦前は「氣」と書いていたことからも分かるように、日本人は米を食べていたとても「氣」の高い「思いやり」にあふれる民族であった。「氣」という漢字は戦後「気」に改められ、何千年と続いた米食文化を取り上げられたのだ。なかでも有名なのは、当時大脳生理学の権威とされた、慶応大学医学部・林たかし教授の言である。彼は米を食べると「脚氣や高血圧になり、短命になる。また美容にも悪い」、しまいには「頭が悪くなる」とまで放言した。当然、林教授たちは製粉、製パン業者、食肉業者の主催する講演会にひっぱりだこである。利権に目のくらんだ学問の堕落は、日本人の伝統的な主食に対し、大きな打撃を与えたのである。

こうして日本では、戦後爆発的に肉の消費量が増えたが、結局はアメリカの穀物の過剰在庫処理のために肉を食べさせただけ。肉の消費量が増えれば、日本人のもともとタンパク源だった大豆の消費量を減らすことができて、肉を輸入することができる。その飼料の大豆などの穀物も輸入量を増やすことができる。

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