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https://www.uminosei.com/uminosei/nipponjin/taiken/ より~
体が弱く苦労した幼少年期
私は瀬戸内海に浮かぶ因島で生まれ育ちました。
子供のころから体が弱く、ずいぶん苦労しました。いわゆる虚弱体質で、風邪を引くのはしょっちゅう。微熱がだらだら続き、年がら年中、風邪を引いているような感じでした。
中学になってからは、朝礼のときに倒れることが何度もありました。
また体育の時間に走っていると、すぐに息苦しくなって、同級生についていけなくなるのです。
町の医院で見てもらったら、ひどい貧血と診断されました。いろいろ調べてもらいましたが、原因は不明。結局のところ、鉄分が足りないのだろうということになりました。
お医者さんにもらった鉄剤を飲んで、少しは症状がおちついたのですが、それで虚弱体質が治るはずもなく、その後も体調はあまりよくありませんでした。とにかく体力というものがありませんでした。それから胃腸が弱くて、すぐ下痢をしましたし、便秘もちでもありました。
病院でひどい胃下垂だといわれ、胃の状態もいつもよくありませんでした。
体型はいわずもがなで、やせてがりがり。人前で裸になるのがいやでした。
期貧血や低血圧のみならず「がんノイローゼ」に
高校に入ってからは貧血に加え、低血圧に苦しみました。朝起きられないから、毎日遅刻。自律神経がうまく働いていないので、どんなに早く寝ても、朝起きられないのです。
心理状態も不安定で、「がんノイローゼ」になったこともあります。ちょっとした体調の変化に、自分ががんではないかと疑いはじめて、ドツボにはまってしまいました。
そのころ骨肉腫(がんの一種)のドラマを見て「自分も同じ病気ではないか」と思い込んでしまいました。図書館で骨肉腫についていろいろ調べてみると、ますます自分がその症状にあてはまるような気がしてくる。「おれはもう死ぬのだ」とか、そんなことばかり考えていました。
思えば、小中学校時代は体のことで苦労し、高校になってからは心の問題で苦しんでいました。
玄米菜食との出会いで大変身
高校卒業後に上京、その年の五月、書店で一冊の本に目がとまりました。『玄米食のすすめ』という本でした。
玄米などそれまで食べたこともなかったのですが、日ごろから体のことで悩んでいた私には、ピンとくるものがありました。その本の著者は、子どものころ体が弱かったのが、玄米食によって驚くほど健康になったというのです。
私も試してみよう思い、早速、当時はまだめずらしかった圧力鍋を購入し、玄米は近くの米店に買いにいきました。
玄米のほかには、味噌汁と、おひたしかきんぴら程度の一汁一菜です。
「これで健康になれるかもしれない」という一心で続けました。
玄米食をはじめて一ヶ月ぐらいたつと、びっくりするくらい体が元気になってきました。
「食べ物ひとつで、人はこれほど変わるのだ」それは私にとって衝撃的な体験でした。
この体験が契機となって、「マクロビオティック」に興味をもち、日本CI協会というマクロビオティックの普及団体にも出入りするようになりました。
マクロビオティックというのは、日本の伝統食を基礎にした食事法で、明治時代に石塚左玄という人が提唱した「食養」に端を発します。桜沢如一によって欧米にも広められ、現在では世界中に実践者がいます。
心身の不調の原因は「塩不足」だった!?
マクロビオティックは、塩をとても重要視します。ある勉強会の席で、「塩が不足するとこのような症状が起こる」という表を見せられました。驚いたことに、そこには私が少年時代からずっと悩まされてきた症状が、列挙されていました。自分の体調不良が「塩不足」からきている・・・?それまでは多くの現代日本人と同様、塩というのは料理に味をつけるものだと思っていました。健康のために塩をしっかりとる必要があるなどとは、思いもよらないことでした。
塩不足といっても私の場合、塩分を特に減らしていたというわけではなく、塩を消費する食べ物のとりすぎによる、「ミネラルバランスの乱れ」によるものでした。つまり、塩と反対の働きをするものをとりすぎていたのです。
私にとって、それは果物と甘いものでした。私の実家の周りにはさまざまな種類の果物が豊富にありました。母が果物好きだったものですから、自分で植えていたのです。私は学校から帰ると、毎日、新鮮な果物を手あたりしだい、もいでは食べていましたし、甘いお菓子もよく食べていました。果物はカリウムが非常に多いですから、食べ過ぎるとナトリウムが相対的に不足するようになります。塩の主成分は塩化ナトリウムですから、カリウムをとりすぎると、体のなかでは塩不足を引き起こすのです。私の不調の原因は、こうした食生活が導いた「塩不足」にあったのです。
まず貧血。その勉強会で、果物や甘いものをそんなにとりつづければ、塩不足になって血が薄くなるのは当然だと説明されました。それから冷え性。温暖な地域に住んでいたのに、私はひどい冷え性でした。これも塩の不足によるものだというのです。胃弱や胃下垂というのも塩不足だといわれました。
骨が弱かったものそうです。中学二年のとき、運動会の騎馬戦で手を突いて骨を折ったことがあります。骨というのはカルシウムだけでなく、いろいろなミネラルを貯蔵する役割もあるのです。
当時の私は、果物や甘いものの食べすぎで、血液中のナトリウムやカルシウムが不足しており、「骨のミネラル貯金」はかぎりなくゼロに近い状態だったのでしょう。そのために弱くなっていたのだと思います。
高校の時に心理的におかしくなったことさえも、塩不足が原因らしいのです。不思議に思われるかもしれませんが、塩が不足することによって、体のミネラルバランスが乱れ、自立神経が不安定になります。そうなれば、心の状態も不安定になります。その結果、ささいなことを非常にオーバーに受け止め、ストレスに非常に弱くなるわけです。
「塩不足」が、長年にわたって悩んでいた症状をすべて解明してくれたのです。
「塩をしっかり」で起こった驚くべき変化
自分の体には塩が足りなかったのだー。
それは私にとって、たいへんショッキングな事実でした。また、塩というものが、体をコントロールする大事なミネラルの集合体であること、そしてその塩が自分の体にそれほど不足していたなんて、思いもよりませんでした。当時はもう実家にいたときのように果物や甘いものはとらなくなっていたし、玄米でかなり体調はよくなっていましたが、長年の塩不足でつくられた「体質」は、そうかんたんに改善するものではありませんでした。
それが、マクロビオティックに出会って、はじめて「塩の秘密」を知ったのです。
こうなったら試しに、塩をとれるだけとってみようと思いました。
といっても、塩を何十グラムもなめるというような極端なことをしたわけではありません。日常の食事で「やや濃い目だけどおいしい」と思える範囲で、塩を積極的に摂取したのです。
その効果は絶大なものがありました。玄米菜食に切りかえて、ある程度は体調がよくなっていたけれど、さらにそれ以上のすばらしい効果を実感しました。
まず胃腸がすっかり元気になりました。ひどい胃下垂で胃腸の状態はいつも悪かったのですが、本当に調子がよくなり、食欲もわくようになりました。後年、気づいたことですが、胃下垂はいつのまにか治ってしまっていました。
それといちばんに大きな変化は、お酒が飲めるようになったことです。それまでお酒は飲もうとしても、すぐに気もちが悪くなってしまってダメでした。それが塩気をきかしたことで、自分でもびっくりするぐらい飲めるようになりました。
風邪もあまり引かなくなりました。もし引いても、高熱がぱっと出て、短期間で治るようになりました。
それから、冷え性がすっかり治りました。
塩ってすごいなぁと、そのパワーを自分の体をもって実感したのです。
塩をしっかりとることが、これほど大事なことだったなんて・・・。今までの自分の常識・価値観がくつがえされた思いでした。
日本人は減塩では元気が出ない
これだけ不調に悩んできた体をすっかり健康に、元気にしてくれた塩に心から感謝しました。
見わたすと、自分の周りにも、塩不足が原因で健康をそこねていると思われる人が非常に多いことに気づきました。
無理な減塩を続けていると必ずどこかに症状が出ます。
気力が衰え、だるい、やる気が出ない、筋力がない、立ちくらみがする、めまいがする、吐き気がする、手足がしびれるなどといった不定愁訴から、冷え性、下痢、便秘、肌荒れ、骨が弱くなる、など・・・。積もり積もるとさらに重い症状となって現れます。
おいしくない減塩食をがまんして食べて、それで健康をくずしているなんて、まさに悲喜劇です。
後述しますが、植物食が主体の日本人は、塩ぬきでは元気が出ないのです。
多くの日本人が塩は体に悪いと信じて疑わない現代だからこそ、塩の重要性を訴えていかなければいけないのではないだろうか・・・。
塩の大切さを身をもって体験した私だからこそ、世に伝えられることがあるのではないだろうか・・・。
私の心に、使命感めいたものが浮かびあがってきたのもこのころです。
時を同じくして、国内では塩について大きな動きがありました。
塩田が廃止され、昔ながらの塩の作り方ではなく「イオン交換膜法」という化学工業的な方法で作られるようになったのです。
これに反対したのが、マクロビオティックや自然食を実践する人々、消費者グループ、それに学者の方たちでした。
そして私も、マクロビオティックの普及団体である日本CI協会に出入りしていた関係から「日本食用塩研究会」の自然塩復活運動にかかわり、その延長線上で「海の精株式会社」を設立して、自ら塩の生産・販売に取りくむことになりました。
自分の意思で進めてきたというよりも、すべて自然の流れでここまでやってきたように思います。
あらためてふりかえってみると、幼少年期の体験といい、マクロビオティックとの出会いといい、塩田廃止といい、すべてこの道に進むためにあつらえられていたような感じさえしています。
今ではひとりでも多くの人に、いい塩とは何か、そして塩の正しいとり方は何かということを知ってもらい、塩で健康を取りもどし、明るい未来を生きてもらうことが、私の使命と信じています。