マクロビオティック

マクロビオティック

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マクロビオティック (Macrobiotic) は、従来の食養に、桜沢如一による陰陽の理論を交えた食事法ないし思想である。長寿法を意味する[1]玄米全粒粉を主食とし、主に豆類、野菜、海草類から組み立てられた食事である。身土不二、陰陽調和、一物全体といった独自の哲学を持つ。運動創始者の桜沢如一は、石塚左玄玄米を主食とした食事法のための食養会に所属し会長も務めた後、思想を発展させ、また民間運動として世界に普及させた。

他の呼称に玄米菜食穀物菜食自然食食養正食[注釈 1]マクロビ[注釈 2]マクロマクロバイオティックがある。

マクロビオティックの運動の始まりとしては、1928年に桜沢如一が行った講習会であると桜沢の夫人が述べている[2]。現在ではさまざまな分派が存在するが、桜沢如一に端を発した食に関する哲学や独自の宇宙感に関してほぼ同じ考えを保っており、また各集団も連携している[2]

 

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海水 飲む 健康

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水飲み美容健康法

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塩で健康を取りもどした私の体験談 | 日本人には塩が足りない! | 海の

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https://www.uminosei.com/uminosei/nipponjin/taiken/ より~

私は瀬戸内海に浮かぶ因島で生まれ育ちました。
子供のころから体が弱く、ずいぶん苦労しました。いわゆる虚弱体質で、風邪を引くのはしょっちゅう。微熱がだらだら続き、年がら年中、風邪を引いているような感じでした。
中学になってからは、朝礼のときに倒れることが何度もありました。
また体育の時間に走っていると、すぐに息苦しくなって、同級生についていけなくなるのです。
町の医院で見てもらったら、ひどい貧血と診断されました。いろいろ調べてもらいましたが、原因は不明。結局のところ、鉄分が足りないのだろうということになりました。
お医者さんにもらった鉄剤を飲んで、少しは症状がおちついたのですが、それで虚弱体質が治るはずもなく、その後も体調はあまりよくありませんでした。とにかく体力というものがありませんでした。それから胃腸が弱くて、すぐ下痢をしましたし、便秘もちでもありました。
病院でひどい胃下垂だといわれ、胃の状態もいつもよくありませんでした。
体型はいわずもがなで、やせてがりがり。人前で裸になるのがいやでした。

高校に入ってからは貧血に加え、低血圧に苦しみました。朝起きられないから、毎日遅刻。自律神経がうまく働いていないので、どんなに早く寝ても、朝起きられないのです。
心理状態も不安定で、「がんノイローゼ」になったこともあります。ちょっとした体調の変化に、自分ががんではないかと疑いはじめて、ドツボにはまってしまいました。
そのころ骨肉腫(がんの一種)のドラマを見て「自分も同じ病気ではないか」と思い込んでしまいました。図書館で骨肉腫についていろいろ調べてみると、ますます自分がその症状にあてはまるような気がしてくる。「おれはもう死ぬのだ」とか、そんなことばかり考えていました。
思えば、小中学校時代は体のことで苦労し、高校になってからは心の問題で苦しんでいました。

高校卒業後に上京、その年の五月、書店で一冊の本に目がとまりました。『玄米食のすすめ』という本でした。
玄米などそれまで食べたこともなかったのですが、日ごろから体のことで悩んでいた私には、ピンとくるものがありました。その本の著者は、子どものころ体が弱かったのが、玄米食によって驚くほど健康になったというのです。
私も試してみよう思い、早速、当時はまだめずらしかった圧力鍋を購入し、玄米は近くの米店に買いにいきました。
玄米のほかには、味噌汁と、おひたしかきんぴら程度の一汁一菜です。
「これで健康になれるかもしれない」という一心で続けました。
玄米食をはじめて一ヶ月ぐらいたつと、びっくりするくらい体が元気になってきました。
「食べ物ひとつで、人はこれほど変わるのだ」それは私にとって衝撃的な体験でした。
この体験が契機となって、「マクロビオティック」に興味をもち、日本CI協会というマクロビオティックの普及団体にも出入りするようになりました。
マクロビオティックというのは、日本の伝統食を基礎にした食事法で、明治時代に石塚左玄という人が提唱した「食養」に端を発します。桜沢如一によって欧米にも広められ、現在では世界中に実践者がいます。

マクロビオティックは、塩をとても重要視します。ある勉強会の席で、「塩が不足するとこのような症状が起こる」という表を見せられました。驚いたことに、そこには私が少年時代からずっと悩まされてきた症状が、列挙されていました。自分の体調不良が「塩不足」からきている・・・?それまでは多くの現代日本人と同様、塩というのは料理に味をつけるものだと思っていました。健康のために塩をしっかりとる必要があるなどとは、思いもよらないことでした。

塩不足といっても私の場合、塩分を特に減らしていたというわけではなく、塩を消費する食べ物のとりすぎによる、「ミネラルバランスの乱れ」によるものでした。つまり、塩と反対の働きをするものをとりすぎていたのです。
私にとって、それは果物と甘いものでした。私の実家の周りにはさまざまな種類の果物が豊富にありました。母が果物好きだったものですから、自分で植えていたのです。私は学校から帰ると、毎日、新鮮な果物を手あたりしだい、もいでは食べていましたし、甘いお菓子もよく食べていました。果物はカリウムが非常に多いですから、食べ過ぎるとナトリウムが相対的に不足するようになります。塩の主成分は塩化ナトリウムですから、カリウムをとりすぎると、体のなかでは塩不足を引き起こすのです。私の不調の原因は、こうした食生活が導いた「塩不足」にあったのです。

まず貧血。その勉強会で、果物や甘いものをそんなにとりつづければ、塩不足になって血が薄くなるのは当然だと説明されました。それから冷え性。温暖な地域に住んでいたのに、私はひどい冷え性でした。これも塩の不足によるものだというのです。胃弱や胃下垂というのも塩不足だといわれました。
骨が弱かったものそうです。中学二年のとき、運動会の騎馬戦で手を突いて骨を折ったことがあります。骨というのはカルシウムだけでなく、いろいろなミネラルを貯蔵する役割もあるのです。
当時の私は、果物や甘いものの食べすぎで、血液中のナトリウムやカルシウムが不足しており、「骨のミネラル貯金」はかぎりなくゼロに近い状態だったのでしょう。そのために弱くなっていたのだと思います。
高校の時に心理的におかしくなったことさえも、塩不足が原因らしいのです。不思議に思われるかもしれませんが、塩が不足することによって、体のミネラルバランスが乱れ、自立神経が不安定になります。そうなれば、心の状態も不安定になります。その結果、ささいなことを非常にオーバーに受け止め、ストレスに非常に弱くなるわけです。
「塩不足」が、長年にわたって悩んでいた症状をすべて解明してくれたのです。

自分の体には塩が足りなかったのだー。
それは私にとって、たいへんショッキングな事実でした。また、塩というものが、体をコントロールする大事なミネラルの集合体であること、そしてその塩が自分の体にそれほど不足していたなんて、思いもよりませんでした。当時はもう実家にいたときのように果物や甘いものはとらなくなっていたし、玄米でかなり体調はよくなっていましたが、長年の塩不足でつくられた「体質」は、そうかんたんに改善するものではありませんでした。
それが、マクロビオティックに出会って、はじめて「塩の秘密」を知ったのです。
こうなったら試しに、塩をとれるだけとってみようと思いました。
といっても、塩を何十グラムもなめるというような極端なことをしたわけではありません。日常の食事で「やや濃い目だけどおいしい」と思える範囲で、塩を積極的に摂取したのです。
その効果は絶大なものがありました。玄米菜食に切りかえて、ある程度は体調がよくなっていたけれど、さらにそれ以上のすばらしい効果を実感しました。
まず胃腸がすっかり元気になりました。ひどい胃下垂で胃腸の状態はいつも悪かったのですが、本当に調子がよくなり、食欲もわくようになりました。後年、気づいたことですが、胃下垂はいつのまにか治ってしまっていました。
それといちばんに大きな変化は、お酒が飲めるようになったことです。それまでお酒は飲もうとしても、すぐに気もちが悪くなってしまってダメでした。それが塩気をきかしたことで、自分でもびっくりするぐらい飲めるようになりました。
風邪もあまり引かなくなりました。もし引いても、高熱がぱっと出て、短期間で治るようになりました。
それから、冷え性がすっかり治りました。
塩ってすごいなぁと、そのパワーを自分の体をもって実感したのです。
塩をしっかりとることが、これほど大事なことだったなんて・・・。今までの自分の常識・価値観がくつがえされた思いでした。

これだけ不調に悩んできた体をすっかり健康に、元気にしてくれた塩に心から感謝しました。
見わたすと、自分の周りにも、塩不足が原因で健康をそこねていると思われる人が非常に多いことに気づきました。
無理な減塩を続けていると必ずどこかに症状が出ます。
気力が衰え、だるい、やる気が出ない、筋力がない、立ちくらみがする、めまいがする、吐き気がする、手足がしびれるなどといった不定愁訴から、冷え性、下痢、便秘、肌荒れ、骨が弱くなる、など・・・。積もり積もるとさらに重い症状となって現れます。
おいしくない減塩食をがまんして食べて、それで健康をくずしているなんて、まさに悲喜劇です。
後述しますが、植物食が主体の日本人は、塩ぬきでは元気が出ないのです。
多くの日本人が塩は体に悪いと信じて疑わない現代だからこそ、塩の重要性を訴えていかなければいけないのではないだろうか・・・。

塩の大切さを身をもって体験した私だからこそ、世に伝えられることがあるのではないだろうか・・・。
私の心に、使命感めいたものが浮かびあがってきたのもこのころです。
時を同じくして、国内では塩について大きな動きがありました。
塩田が廃止され、昔ながらの塩の作り方ではなく「イオン交換膜法」という化学工業的な方法で作られるようになったのです。
これに反対したのが、マクロビオティックや自然食を実践する人々、消費者グループ、それに学者の方たちでした。
そして私も、マクロビオティックの普及団体である日本CI協会に出入りしていた関係から「日本食用塩研究会」の自然塩復活運動にかかわり、その延長線上で「海の精株式会社」を設立して、自ら塩の生産・販売に取りくむことになりました。
自分の意思で進めてきたというよりも、すべて自然の流れでここまでやってきたように思います。
あらためてふりかえってみると、幼少年期の体験といい、マクロビオティックとの出会いといい、塩田廃止といい、すべてこの道に進むためにあつらえられていたような感じさえしています。
今ではひとりでも多くの人に、いい塩とは何か、そして塩の正しいとり方は何かということを知ってもらい、塩で健康を取りもどし、明るい未来を生きてもらうことが、私の使命と信じています。

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岩塩てどんなものなの?

◆栄養素など岩塩てどんなものなの?

http://ganen.pinkcart-k.com/whatganen.htm より~

栄養素 海水を原料とした塩づくりが、日本の場合は昔からポピュラーです。
しかし、栄養素が豊富と言われている岩塩が、日本で採取されるとは、 あまり聞いたことが、ありませんね?
では、栄養素が豊富と言われている岩塩とは、どのようなものでしょうか?
栄養素が豊富と言われている岩塩とは、
地殻変動によって海底が隆起して、閉じ込められた
海水の水分が蒸発し、残った塩分が結晶化して出来たものです。
主にアメリカやヨーロッパで産出されていて、
食品や工業原料の他、主に融雪剤として使用されています。

◆幣サイトの別ページで、岩塩のできるまでを図解しております。

▼(詳しくは、こちらへ)

岩塩

成分は?

成分は産地にもよりますが、 高純度の岩塩は、水分はほとんどゼロ。
塩化ナトリウム99%以上です。
残りの1%程度がマグネシウム、カリウム、 カルシウム、鉄などです。
このため一般的には、ミネラルが少ないと言われていますが、
塩化ナトリウム自体もれっきとした「ミネラル」なので、
どんな食用塩でも水分以外はすべてミネラル分であるといえます。

しかしながら、なぜか、 食用塩に関しては塩化ナトリウム以外の
成分だけをミネラルと呼びますので、岩塩は、
ミネラルが少ないといわれているようです。
ちなみに・・・、
伝統的な製法の海水塩は、
塩化ナトリウム70~80%程度のものが多数あります。
水分10%程度とすれば、残り10~20%がマグネシウムや カリウム、
カルシウム、鉄などです。 イオン交換膜製法の食塩(昔でいう「専売塩」)は、
海水塩ですが、塩化ナトリウム99%以上です。
岩塩はミネラルが豊富でまろやかだとか、
いやそうではないとか、意見が分かれます。

岩塩

岩塩のミネラル分

■ミネラル:  栄養素として生理作用に必要な無機物の称。
■必須ミネラル: 計29種  ミネラル類のうち、ヒトに必須で食事などから摂取しなければならないもの。
■主要ミネラル: 7種  必須ミネラルのうち、生体内での存在量や必要量、食事からの摂取量が多いもの
カルシウム[Ca]、リン[P]、カリウム[K]、硫黄[S]、塩素[Cl]、ナトリウム[Na]、マグネシウム[Mg]
■微量ミネラル(I群): 9種類  必須ミネラルのうち、ヒトで欠乏症の発生することが証明されているもの。
鉄[Fe]、亜鉛[Zn]、銅[Cu]、マンガン[Mn]、ヨウ素[I]、セレン[Se]、モリブデン[Mo]、コバルト[Co]、クロム[Cr]
■微量ミネラル(II群): 13種類  必須ミネラルのうち、ヒトでは欠乏症は起きていないが、動物実験などで欠乏症が認められてされているもの。
フッ素[F]、ケイ素[Si]、ルビジウム[Rb]、臭素[Br]、鉛[Pb]、アルミニウム[Al]、カドミウム[Cd]、ホウ素[B]、バナジウム[V]、ヒ素[As]、ニッケル[N]、スズ[Sn]、リチウム[Li]

あく、灰汁を使う「沖縄そば」、中国の文化

沖縄そば(おきなわそば)とは中華麺と同じ製法の麺を使用した日本麺料理であり、沖縄県郷土料理ともなっている。

沖縄そば
Soki soba in Naha.jpg

ソーキそば(那覇市にて)

沖縄県内では単に「そば」、あるいは方言で「すば」「うちなーすば」とも呼ばれる。農山漁村の郷土料理百選に選ばれている[1]

そばと呼ぶが蕎麦粉は一切使われず小麦粉のみで作られ、はかんすい(かん水)または伝統的にガジュマルも使用される)を燃やして作った灰汁を加えて打たれる。製法的には中華麺と同一であり、公正競争規約の上でも「中華めん」に分類されている。麺は一般に太めで、和風のだしを用いることもあって、その味や食感はラーメンよりむしろ肉うどんなどに類似する。

発祥については諸説あるが、庶民の食べ物としての「そば」が紹介されたのは明治後期のことで、県民食として大々的に普及して現在のような形態となったのは戦後、県外にもその存在が知られるようになったのは沖縄復帰以降のことである。

沖縄において「すば」「そば」は通常は沖縄そばを指し、蕎麦は「日本そば」「ヤマトのそば」「黒いおそば」などと呼んで区別される。返還直後には名称に関する議論(#「沖縄そば」という名称についての節を参照)もあったが、現在では「沖縄そば」という呼び名が全国的にも定着している。

歴史[編集]

沖縄で小麦粉を原料とした麺料理が広く知られるようになったのは明治後期以降のことであり、本土出身者が連れてきた中国人コックが那覇の辻遊廓近くに開いた支那そば屋が、今日の沖縄そばの直接のルーツであると考えられている。したがって本土のラーメンと沖縄そばは、先祖を同じくする兄弟のような関係にあると言える。

街中にそば屋が増え、一般庶民が気軽に食べられるようになったのは大正に入ってからのことであるが、当初は豚のだし(清湯スープ)をベースにした醤油味のスープで、具材も豚肉とネギのみと、日本本土の支那そばと変わらないものであったようである。その後沖縄県民の味覚に合わせた改良が重ねられた結果、スープは現在のような薄めの色となり、今日にまで繋がる三枚肉、沖縄かまぼこ小ねぎを具材とし、薬味として紅しょうがコーレーグス(島唐辛子の泡盛漬け)を用いるという沖縄そば独自のスタイルが形成されていった。支那そばと並んで「琉球そば」という呼称が用いられるようになったのもこの頃のことである。

木灰そば

また現在は一般的な中華麺と同様に、麺には小麦粉と塩水、そしてかんすい(鹹水)が用いられるが、当時はかんすいが入手しづらく高価でもあったため、灰汁(はいじる)と呼ばれるガジュマルなどの亜熱帯の樹木灰を水に溶かした上澄み液が代用として利用されることが多かった。このような伝統的な製法の麺は、今日では特に木灰そば(もっかいそば)と呼ばれている。灰汁は琉球染めにも利用される身近なアルカリとして一般に用いられてきた経緯がある。

こうした老舗の店も、戦時中の食糧不足と沖縄戦によってすべて消滅したが、米軍占領下で小麦粉が豊富に出回るようになってからは次々と復活し、また戦争で寡婦となった女性たちが新しい店を立ち上げるなどして、戦後沖縄を代表する軽食として急速に普及していくこととなる。店の数が増えるにともなって、それぞれの店がさまざまな具材や、昆布を用いた和風の出汁を用いるなど競い合って工夫を凝らし、県民食として発展していった。またその一方で、ガスの普及に伴って麺打ちに使われる木灰の供給が減少したこともあって、かんすいを使用した大量生産の麺が一般的となり現在に至っている。

近年まで戦後の日本本土のラーメン文化の影響を受けることのなかった沖縄県では、復帰前の1970年頃にはすでに大衆食としての「すば」が定着し、上記の代表的なスタイルや、後に誕生する大ぶりのソーキを具にしたソーキそば沖縄料理の定番となった。こうして生まれた沖縄そばは、沖縄本島に定着する過程と同時、あるいは相前後しながら、宮古諸島や八重山諸島、その他の島々へも広がるに至っている。

年譜[編集]

  • 1902年(明治35年) 沖縄県初の「支那そば屋」とされる観海楼が開業。経営者は宮崎県出身の福永義一という人物であった。店を任されたのは大阪の支那料理屋から招聘された辮髪清国人で、『唐人そば』という通称で人気を博す。
  • 1905年(明治39年) 観海楼の従業員であった比嘉牛(ウシ)が独立し、比嘉店を開業。饒舌で話し好きな女性であったことから『ベェーラーそば』と呼ばれ、唐人そばと人気を二分する。
  • 1913年(大正2年) ウシンマーそば開業。細切りのカマボコを具として初めて使用し、薬味に用いたピパチの辛味が人気を呼んだ。八重山そばの原型であるとされる。
  • 1916年(大正5年) 支那そばの表記を「琉球そば」に変更するよう当時の那覇警察署長が指導。しかしこの呼称は定着せず、単に「そば」「すば」と呼ばれるようになる[2]
  • 1920年(大正9年) ゆたか屋開業。ゆたか屋はこの4年後に紅しょうがを導入。さらに塩味で透明なスープの開発にも成功し大評判となる。後に「毎日2000杯を売る」伝説の名店として語り継がれる井筒屋も同じ年に開業している。
  • 1925年(大正14年) 新山食堂開業。現在も名護そばの名店として営業している。
  • 1929年(昭和4年) 万人屋開業。そばの他に太巻き寿司やいなり寿司を出し人気を博す。サイドメニュー展開の元祖的存在。
  • 1945年(昭和20年) 沖縄戦によりすべてのそば屋が壊滅する。
  • 1948年(昭和23年) 那覇の神里原や平和通りなどを中心に大衆食堂が増え始める。期を同じくして井筒屋や万人屋、三角屋といった戦前の名店も続々と国際通り周辺に店を再開させる。
  • 1950年代中頃 製麺所からゆでめんのそばが売り出される。これにより、それまですべて自家製手打ちだったそばが、一般家庭でも気軽に味わえる日常食となった。
  • 1960年代 ガスの普及による製法の旧態化、既成麺の台頭、店主の高齢化などにより、旧来の老舗そば屋が相次いで廃業し、世代交代が進む。
  • 1972年(昭和47年) 本土復帰日本そばと区別するために、『沖縄そば』の呼称が用いられるようになる。
  • 1975年(昭和50年) 名護でソーキそばが誕生。起源については二説あり、丸隆そばが元祖、我部祖河食堂が本家を名乗っている。以降沖縄そばのバリエーションが広がる。
  • 1976年(昭和51年) 沖縄総合事務局公正取引室より沖縄そばの名称についてクレームがつく。
  • 1978年(昭和53年) 『本場沖縄そば』の表示が特殊名称として登録許可される。
  • 1987年(昭和62年) 沖縄そばの本土移出認可。
  • 1995年(平成7年) 沖縄県物産公社設立。当初は『沖縄ラーメン』という名称で本土進出を試みる。
  • 1997年(平成9年) 沖縄生麺協同組合が10月17日を『沖縄そばの日』に制定。
  • 2006年(平成18年) 『沖縄そば』の表示が、沖縄生麺協同組合の地域団体商標として登録される。

近年の沖縄そば[編集]

麺の形は太めでややねじれたうどんのような方形が一般的だが、名護を中心とした本島北部ではきしめんのような平打ちのものも用いられる。一方、石垣島など八重山列島は細めのストレート麺で、このような八重山諸島の沖縄そばを八重山そばと呼ぶ。また、宮古島のそばも縮れのない細めの平打ちで、具材や盛り付け方などにも独特の特徴があり宮古そばと呼ばれる。これ以外にも大東そば、久米島そば、名護そば、首里そば、那覇そば、与那原そば、山原そばなど、商標や店名として地域名を冠するそばは多数存在するが、上記の八重山そばや宮古そばのような際立った特徴や歴史があるわけではなく、呼称としての認識も一般的ではない。近年は沖縄本島においても宮古そばの流れを汲む麺の人気が非常に高く、多くの店が採用し主流となりつつある。

沖縄そばと一般的な中華麺の大きな違いとしては、ゆで上げた麺に油をまぶし、冷水で締めずに自然冷却するという点があげられる。これは麺に油を吸わせることで保存性を高めるという冷蔵庫のない時代に生まれた知恵であるが、この工程が沖縄そば独特の表面が固くボソボソとした食感を生んでいる。いっぽう生麺の製法はラーメンとなんら変わることなくあまり一般的でもないが、一部には手打ち麺をゆでたてで供する店などもあり、ゆで麺との食感の違いや低カロリーなどを売りにしている。

大量生産では、一般にかんすいを用いるが、古い時代の製法にこだわってガジュマルなどの灰汁を用いる自家製麺の店も増えつつある。また、原料は輸入小麦を用いるのが圧倒的多数だが、ポストハーベストの不安から国産小麦にこだわる店や、全メニュー化学調味料なしを宣言する店も存在する。

スープはほとんどの場合、豚だしと鰹だしのブレンドで、その比率はさまざまである。市販の濃縮スープも、同一メーカーから「豚」と「鰹」の二種類が発売されていることが多い。近年は鰹だしを主体とするスープが人気であるが、古典的な豚のみのだしや、白濁した豚骨スープを用いる店もある。また一部ではラーメンのように鶏がらや煮干しを用いたり、野菜を入れて甘みを出す例もある。色調も関西風のうどんつゆに似た澄んだスープから、ラーメンのように液面が油膜で覆われたものまでバリエーションは非常に広い。

トッピングとしては、三枚肉を用いる標準的な沖縄そばに加えて、ソーキそば、軟骨(ソーキ)そば、てびち(豚足)そば、中味(豚モツ)そば、肉そば(肉野菜炒めの載ったそばをこう呼称する)、ゆし豆腐そば、などが代表的である。古くからの店では三枚肉ではなく脂身のない赤身肉、薄焼き卵、結び昆布、干し椎茸の甘煮などが添えられることもある。 弁当屋などでスープ代わりに販売される安価なもの(100円そば)では、肉が省略されたりポーク(ランチョンミート)で代用されることも多い。その他にも麺にアーサやふーちばー、イカスミ、カレー、バジルなどを練りこんだり、独自の味付けで個性を追求する飲食店も散見される。いくつかのメーカーからは乾麺、袋入りのインスタント沖縄そばやカップ麺の沖縄そばも販売されている。

なお、沖縄県の食堂やレストランでは、焼きそばにも沖縄そばの麺が使われる。歴史は比較的新しく、既成麺が流通し始めた昭和30年代に誕生したと考えられる。具は肉・野菜だが、ランチョンミートもよく用いられる[3]。初期はケチャップ味が主流[4]であったが、今ではウスターソース味、塩味、醤油味のものも増えている[5][6]

また、かつてはもっとも手軽な食べ方として、市販のゆで麺に醤油や塩などを絡めてそのまま常温で食べることも行われた。これはからそばと呼ばれ、石垣島では「からそばのタレ」も商品化されている。ねぎやトゥーナ缶など手近なものと和えれば一品料理としても成立するので、簡便な軽食や酒のつまみとして現在もしばしば用いられる。

沖縄そば店では、しばしば握り飯稲荷寿司ジューシーがセットメニューとして用意されており、そばとともにこれらの米飯を食べる人も多い。

21世紀になって、沖縄県内だけを見てもメニューに入れる店が2000軒以上に及び、1日約15万から20万食が消費され、県民のみならず沖縄県を訪れた人が一度は口にするといわれるほど人気がある。国際的にも沖縄そばの店はブラジルなど日系移民の住む国、ブラジルの南マットグロッソ州の州都カンポグランデ市など[7][8][9]沖縄県出身の移民が多い地域を中心に広がっている[10]

宮古そば
ソーキそば
ゆし豆腐入り豆腐そば
てびちそば
東京・晴海の沖縄焼きそば

「沖縄そば」という名称について[編集]

1972年本土復帰以前は、沖縄県でそばと言えばすなわち沖縄そばのことであったので、特に意識することなく単に「そば」と呼ばれることがほとんどであった。その後日本そばとの混乱を避けるために「沖縄そば」という呼称が用いられるようになったが、1976年に沖縄県公正取引室が、「生めん類の表示に関する公正競争規約」の「『そば』とは、そば粉30%以上、小麦粉70%以下の割合で混合したものを主たる原料とする」という記述を根拠に、この名称に対してもクレームをつけた。しかし戦前より一貫して「そば」と呼ばれてきた慣習を変えることは困難であるため、沖縄生麺協同組合等の交渉により、1977年通称としての「沖縄そば」が県内のみの使用に限り許可された。その後、1978年10月17日に公正取引協議会「生めん類の表示に関する公正競争施行規則」別表に「本場 沖縄そば」という表記が、沖縄県内で生産され、仕上げに油処理を行うことなどいくつかの条件の下に特殊名称として認可された。これを記念して10月17日は「沖縄そばの日」とされている[11]

沖縄そばの定義[編集]

このときに定められた「本場 沖縄そば」の定義は以下の通りである[12]

  1. 沖縄県内で製造されたもの
  2. 手打式(風)のもの
  3. 原料小麦粉は、タンパク質は11%以上。 灰分は0.42%以下。
  4. 加水量 小麦粉重量に対し34%以上~36%以下。
  5. かんすい ボーメ2℃~4℃。
  6. 食塩 ボーメ5℃~10℃。
  7. 熟成時間 30分以内
  8. めん線 めんの厚さ1.5mm~1.7mm切葉番手 薄刃10番~12番。
  9. 手もみ 裁断されためん線は、ゆでる前に必ず手もみ(工程)を行う。
  10. ゆで水のPHは8から9であること。
  11. ゆで時間 約2分以内で十分可食状態であること。
  12. 仕上げに油処理が施されていること。

なお、1978年10月17日に許可されたのは「本場 沖縄そば」という特殊名称のみであり、「沖縄そば」という呼称が県外でも使用可能な一般名称として認められたわけではない。沖縄そばの本土への移出は1987年4月5日に認可されたが、名称問題については不透明な部分が残り、1995年に設立された沖縄県物産公社のアンテナショップにおいても、沖縄そばという名称を避けて「沖縄ラーメン」というメニュー表記で提供されていた例がある。

現在では「生めん類の表示に関する公正競争規約」において「中華めん」の一名称として認められており、かんすい(唐あくを含む)を用いた麺に対しては、産地や製法などの制約なく沖縄そばの名称を使用してよいことになっている(つまり、現在は「ラーメン」や「中華そば」「ちゃんぽん麺」等と「沖縄そば」の間に定義上の違いは存在しない)。

2006年には地域団体商標として「沖縄そば」が認定されたことにより、商標権者である沖縄生麺協同組合の許可を得ずに「沖縄そば」の名称を使用することは原則としてできないこととなっている。

日本国外での沖縄そば[編集]

沖縄そばは日本(沖縄県)以外でも主にブラジルで食されている。ブラジルでは日本人移民が渡ったおよそ100年前から、沖縄出身者の人達の手によって広まっている。中でもマットグロッソ・ド・スル州カンポクランデでは、沖縄出身者が多いことから沖縄そば店が多く、街の名物にもなっている[13]

レシピ[編集]

小麦粉に、かんすい、または灰汁(はいじる、木灰の上澄み液)を混ぜ込んでよく練り、寝かせる。これを太めに切って麺をつくり、揉んでちぢれをつけた麺を茹で、熱いうちに油をまぶして自然冷却する。

豚骨、あるいは骨付きの豚肉を煮込んでだしを取る。これに昆布などのだしを合わせ、スープを作る。味付けは塩または少量の醤油のみで、香辛料の類は通常用いない。

麺をほぐして丼に入れる。既に茹でてある麺なので、湯通しする場合は数秒以内にとどめる。スープをかけ、三枚肉(茹でたバラ肉を味付けしたもの)、カマボコ、小口ネギ、紅生姜をトッピングする。好みにより七味唐辛子コーレーグスをかける。八重山地方においては、特産であるヒハツモドキの粉末を薬味として用いることも一般的である。

典型的なレシピを挙げたが、トッピングする具の多様化と同様に、店、地域、家庭ごとにレシピはさまざまである[14]

脚注[編集]

  1. ^ 農山漁村の郷土料理百選 沖縄”. 一般財団法人農村開発企画委員会. 2013年10月2日閲覧。
  2. ^ 食品産業センター
  3. ^ アジア料理を楽しむ会 – 沖縄焼きそば
  4. ^ 千歳沖縄クラブ「グスーヨー」:「沖縄焼きそばは、ケチャップ味だ。私の幼い頃からの記憶なかではソース味など無かった。」
  5. ^ 島唄まれまれ: 沖縄焼きそば
  6. ^ 沖縄発! 役に立たない写真集: やきそば
  7. ^ ブラジル・オン・ボード: カンポグランデ:「沖縄出身の人々が多く、「ソバ(沖縄そば)」はこの町の味として定着している」
  8. ^ ニッケイ新聞: 和麺=日本起源のブラジル文化になるか (7) =沖縄そば〃地位確立〃 カンポ・グランデ「最初恥ずかしかった」: 日系人も非日系人も SOBA を頬張っている
  9. ^ 沖縄タイムス「海外沖縄」: ブラジルのカンポグランデ市に移転した具志堅弘さんは農家、精肉店、沖縄そば店の経営など転職を重ね、芸能研究所を運営する琉舞家である。(2001年9月22日)
  10. ^ 沖縄そば(移民百年祭、最終更新日 : 2006/07/05)
  11. ^ 沖縄そばの日”. 沖縄生麺協同組合. 2013年10月2日閲覧。
  12. ^ 本場沖縄そばの定義”. 沖縄生麺協同組合. 2013年10月2日閲覧。
  13. ^ “沖縄そばブラジルで独自進化”. 沖縄タイムス. (2014年9月8日). http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/43865 2016年10月20日閲覧。 
  14. ^ Flickr.com: 石垣島の味噌味ソーキそば(Flickr 写真)

参考文献[編集]

薩摩の「灰汁まき」

して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。2014年11月

孟宗竹の皮に包まれた状態(上)、皮を剥いで切り目を入れたもの(下)

あくまき(灰汁巻き)とは、鹿児島県宮崎県熊本県人吉球磨地方など南九州で主に端午の節句に作られる季節の和菓子である。もち米を灰汁(あく)で炊くことで独特の風味と食感を持つ。

 

糯米から作る餅の一種であるが、粘りは少なく、水分が多いため柔らかく冷めても硬くならない。他のものに例えるならば、わらび餅葛餅の粘りを強めたような感じである。

予め一晩ほど灰汁(あく)に漬けて置いたもち米を、同じく灰汁または水に一晩漬けておいた孟宗竹の皮で包み、糸や孟宗竹の皮を裂いて作った紐で縛り、灰汁で3時間余り煮て作る[1]

餅米が煮られることで吸水し膨張するが、水は若干通すがもち米は通さず頑丈な竹の皮で包まれていることで、餅米自らの膨張圧力で餅のように変化する。また、灰汁の強アルカリによって、澱粉の糊化促進と色づき(アミノカルボニル反応)が行われ、同時に独特の臭気を発する。

アルカリ性の灰汁で炊くだけにアルカリ性食品でもあり、ミネラル類が多く含まれる。灰汁の原料にはなど硬木の灰が上等とされるが、その他の木の灰でも作られる。工場での生産では、炭酸カリウム炭酸ナトリウムの水溶液で代替できる。

多くはだいたい500mlペットボトル弱の大きさであるが、地域差もある。鹿児島県の奄美大島では以前は孟宗竹で包んだ本土と同じようなつのまきが作られていたが[2]、現在は竹皮ではなく、晒しの布袋を筒状に縫い、そこに灰汁に漬けたもち米を入れ、口を縫ってから煮る。このため、一般に九州本土のものよりも少し小さい。また、袋から出した状態でラップなどに包んで販売される。

家庭で自作できるが、漬け置きや煮込み、灰のアルカリが足りないと、餅化が不十分でボソボソとした食感となり、美味しさが損なわれ、色づきも不十分となる。しかし、これらを行う程に匂いなどの独特のクセが強くなるので、食べる人の好みや慣れなども勘案する必要がある[3]。クセを抑えつつ柔らかさを出すには、上質な灰汁を取ることが重要だと言われている。

食べ方・味[編集]

単体ではほぼ無味である。このため、砂糖と若干のを混ぜたきな粉白砂糖三温糖黒砂糖の粉、黒蜜、砂糖醤油などを好みでかけるのが一般的な食べ方である。人によっては蜂蜜溜まり醤油、わさび醤油、ココアパウダーと砂糖などで食べる人もいる。

そのままだと微妙にえぐみのような味があるが、多めの砂糖やきな粉などと一緒に食べるとそのえぐみも味の一環となり、独特の美味さとなる。もっちりつぶつぶしていながら口に入れるとさらりと溶ける食感がある。

その独特さ故に若干の好き嫌いや慣れを要する場合もある。

常温で食べるのが一般的だが、冷やしても美味しい。冷やすとえぐみを弱く感じるため、苦手な人でも食べやすくなる。固くなったら軽く暖めると良い。

切る時は包丁ではなくが使われる。表面積が大きな刃物では、柔らかすぎて付着し、切りにくいためである。皮で包む際に縛った糸(竹の皮を細く割いたものや、凧糸を使う場合もある)がこの切り分け用にも使える。糸を若干湿らせておいて、ぐるりとあくまきを一周巻いてから縛るように引くと、刃物で切るよりも綺麗に切ることが出来る。

粽との関係[編集]

地元では「ちまき)」とも称され、中国に起源がある端午の節句の行事食であることも共通する。しかし、他地方で一般的な青笹の葉で包まれ、糯米粉を用いたちまきとは違い、見た目は台湾のちまきの一種で、三角錐型の「鹼粽(けんそう、キーツァン)」のような茶褐色の竹の皮で包まれている。あくまきの中は鼈甲色のケーシング状で米粒の多少残るである。また、他地方で一般的なちまきや鹼粽のように甘いは入れず、もち米のみである。

鹿児島県でも、種子島屋久島では灰汁に付けたもち米に小豆を入れて葮竹の葉で三角錐型に包む角巻き(つのまき)が作られている[4]。もち米を色が付く程度に灰汁に漬け、葮竹の葉で小さめのおにぎりほどの大きさに巻いて、湯で煮る若しくは蒸したもの。もち米をそのまま葮竹の葉で巻いて、灰汁で煮る方法もある。

また、南さつま市坊津町にも角巻きに似た唐人巻(とじんまっ)があるが、灰汁は使わず、台湾の肉粽(にくちまき、バーツァン)の様に豚肉シイタケなどを使うことが多い[5][4]

これらの食品が近隣にあることは、台湾や中国から伝わってきた製法であることを伺わせる。

中国のちまきに「栀粽」がある。色、形、大きさ、味、匂い、材料、製法ともあくまきと類似する。

歴史・現在[編集]

一説では、薩摩藩1600年関ヶ原の戦いの際、または1592年豊臣秀吉朝鮮出兵の際に日持ちする兵糧として作ったのが始まりといわれる。他にも諸説あり、農家の田植え時の保存食、日本に伝来したの当初の形がこの地域のみ残った説、平家の落人により伝えられた説、たまたま焚き火に落としたおにぎりが腐らなかったのを見つけた説などもある。

また、1877年西南戦争の際には西郷隆盛が保存食として持参しており、これを機に薩摩藩外の宮崎県北部や熊本県にも広く普及することとなった。

保存性であくまきを見ると、長時間煮ることによる滅菌、木の成分による抗菌、アルカリ環境による雑菌繁殖の抑制、竹の皮による抗菌、と実に複合的かつ合理的に出来ている。兵糧で多かった干し飯と比較しても、保存性や食べやすさ等で優れており、朝鮮出兵の際も他国の軍勢は兵糧が尽きる中、薩摩の軍勢だけはあくまきで腹を満たしたと言われている。

それだけに水分が多いのに日持ちは良く、常温で1週間程度、冷蔵庫で2週間程度は持ち、冷凍も可能である。持ち運びや衛生面から土産物としては真空パックされたものが多い。また、竹の皮で包む代わりにカップに入れて製造する製法も開発されて、手軽に食せるようにパッケージングされた商品もある。

節句前の鹿児島県のスーパーマーケットなどでは、家庭での自作用に灰汁のビン詰めや灰汁用の灰、竹の皮を売っている。製造元のこだわり等により、大きさや値段もまちまちであり、製造元にこだわりを持つ人も多い。

材料さえあれば、漬けておいて包んで煮るだけと簡単に作れ、1個作るのも数個作るのも手間が大差ないこともあり、地元の人にとっては、自分の家で多く作って近所にも分けたり、親戚や知り合いが作ったのを貰ったりする、家庭的な菓子としてなじみが深い。ただ、若干の好き嫌いがあるためか土産菓子としてはあまり普及しておらず、また季節菓子ゆえ、通年で一般的に販売はされていないので、地元以外で手に入れるのは物産展でもないと難しかった。また地元でも里山の減少や囲炉裏が各家庭から失われたことで木灰と縁遠くなり、更に核家族化・都市化により、作り手や機会が減少していた。

しかし近年、九州新幹線開通を契機とした魅力的な観光地への独自性のある郷土菓子として、また合成保存料・合成添加物を使用しない手作りの素朴なスローフードとして注目され、従来こんにゃくを製造していた業者などによる製造が盛んとなり、南九州の旅館のお膳や自治体アンテナショップインターネット通販などで地道に取り扱

 

いを増やし、最近では鹿児島県内のスーパーマーケットやみやげ物店等で通年販売する店もある。

関連項目[編集]

灰汁笹巻き(新潟県村上市

 

動物は草灰や灰汁(あく)を食べる?

灰汁

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灰汁(あく)とは、原義では(藁灰や木灰)を水に浸して上澄みをすくった液のこと[1]#灰汁)。この灰汁を使って食品自体がもつ強くてクセのある味を処理したことから、そのような嫌な味やクセそのものも「あく」と呼ぶようになった[1]#食品のアク)。本項目でともに解説する。

灰汁[編集]

灰汁は藁灰や木灰を水に浸した上で上澄みをすくった液である[1]炭酸カリウムが主成分であるためアルカリ性で、洗剤、漂白剤、また食品のアク抜き(後述)などとして用いる。鹿児島県ではこの灰汁を用いて「あくまき」や「つのまき」と呼ばれるちまきを作るほか、沖縄県では「はいじる」と呼んで沖縄そばの原料として用いられる。の項目も参照。

灰汁は、灰を水のなかに入れてとる液で、洗濯や染め物など用途に応じてさまざまな作り方があった。 洗濯用には米俵を一俵分焼き、これを一斗(18リットル)樽に入れ、水をいっぱいに加え、よく混ぜてこの上澄みをたらいに移し、20倍くらいに薄めたものを使用した。 稲のわらを焼いて作った灰が一番質がよいとされ、次にすすきや萱で作った炭俵が使われた。

食品のアク[編集]

食品のアクは食物に含まれるえぐ味、渋味、苦味など不快で不要とされる成分の総称である[1][2]。アクの成分には無機質のものと有機物のものとがあり[2]、このうち無機質のものとしてはカリウムマグネシウムカルシウムなどがある[2]。また有機物のものとしてはシュウ酸ポリフェノール配糖体サポニンなどがある[2]

アクを全部取り去ってしまうと風味が損なってしまう場合もある[1]。野菜や山菜の灰汁も適度な量でありさえすれば食材の個性的な味覚の一部と判断されており、除去しすぎると特有の風味を失うことになり、灰汁抜きの適度な加減が必要となる。しかし、アルカロイドが問題となる場合や栄養素の吸収を阻害する成分である場合などには十分にアク抜きをすべきということになる[2]。例えば、ホウレンソウなどに含まれているシュウ酸は、苦み、えぐみをもたらす。カルシウムと結合しシュウ酸カルシウムとなるためにカルシウムの吸収を阻害し、さらにシュウ酸カルシウムが体内に蓄積し結石の原因となる。茹でることで茹で汁にシュウ酸が溶け出すので大部分が除去できる。ワラビなどの山菜に含まれるチアミナーゼは不味いだけでなく、ビタミンB1を分解する作用があるため、多く摂取すると脚気を引き起こす。また、植物にとっては重要な栄養物質であるが、人間のような動物には代謝できない亜硝酸塩は体内で発ガン性物質に変化するという研究結果もある。一方、大豆などに含まれるサポニン類は発ガンを抑制する効果があるという報告もあり、全ての灰汁成分が体に良くないというわけではない。ゴボウなどの不味成分といわれるタンニンに代表されるポリフェノール類(ゴボウを水にさらすと水が赤茶色に変色するのはタンニンの流失による。)も、近年は抗酸化作用が注目されている。

食品の種類とアク[編集]

植物性食品のアク[編集]

植物性の食材である生物としての植物は、多くの場合草食動物の摂食を防ぐための防御物質として刺激性の物質や、栄養素消化吸収を阻害する物質、摂食した動物生理状態を変化させる生理活性物質などを持っていることが多い。こうした物質は人間の味覚や健康にとって好ましいと判断されれば香辛料ハーブ生薬として却って積極的な利用の対象となるが、食材の味覚を妨げると判断されれば灰汁として調理時に除去の対象となる。

動物性食品のアク[編集]

肉や魚介類を煮た時の灰汁は、煮汁に溶け出した水溶性のタンパク質が熱変性によって凝固した、アミノ酸や脂質を含む泡状の浮遊物である。旨味成分や栄養学上有用な栄養素を含むが、料理の風味上強すぎると不快に感じる成分や、癖のある味・臭いを持つ様々な成分をも吸着しているため、見た目と臭い、舌触りがよくないなどの理由で取り除かれることが多い。 一般にフランス料理などのスープを作る場合には、臭いや濁りを嫌って灰汁は除去される。

しかしこうした食材の癖の強さは、料理の方法によっては却って食材の個性を強調する要素として良好な味覚をもたらす場合もあり、イタリア料理の一部などでは肉の灰汁をあえてソースに加えることもある。

アクの除去[編集]

アク抜き[編集]

ワラビの灰汁抜き(ここに湯を注ぎ一昼夜置く)

灰汁抜き(あくぬき)とは調理法のひとつで、特に植物性の食材を水または湯などにつけて、苦み、えぐ味等のアクを抜くこと。そのままでは食べられない素材でも、アク抜きによっておいしく食べることができる。

アク抜きには食材に応じて様々な方法が用いられる。

  1. 水にさらす方法
    水にさらす方法はナスゴボウなどのアク抜きに用いられる[3]
  2. 薄い酢水にさらす方法
    薄い酢水にさらす方法はレンコンウドなどのアク抜きに用いられる[3]
  3. 茹でる又は熱湯につけたのち冷水にさらす方法
    茹でたり熱湯につける方法はホウレンソウシュンギクフキクワイなどのアク抜きに用いられる[3][4]
  4. 米のとぎ汁、米糠、小麦粉を用いる方法
    米のとぎ汁、米糠、小麦粉の吸着性を利用する方法である[4]ダイコンのアク抜きに用いられる[4]タケノコにも用いられる[5]
  5. 灰汁を用いる方法
    灰汁(灰の上澄み液)を用いる方法はワラビゼンマイなどのアク抜きに用いられる[3][4]。灰汁(灰の上澄み液)はアルカリ性であり植物の繊維を軟化させる性質をもつことを利用し浸したり茹でたりすることでアクが溶け出すことを容易にする[1]。灰汁は植物の繊維を柔らかくすることから火の通りにくい食品を柔らかくする場合にも灰汁が用いられる[1]。なお、藁灰や木灰が手に入りにくくなった今日では炭酸水素ナトリウム(重曹)が用いられることが多い[1]

なお、調理以外にも、食器に塗りたての、水槽のコーキング剤など、直接口に入ると有害となるものを水や湯に長時間晒して無害にしてから使うことを「灰汁抜き」と呼ぶことがある。

アク取り[編集]

動物性の肉類、魚介類を含む食品を茹でたり煮たりすると、水面に白色や茶色の不純物が泡状になり、浮かび上がることがある。これは食品の水溶性タンパク質を主成分とするアクが水に溶け出した後、タンパク質の熱変性で凝固したものなので、玉杓子網杓子などで静かにすくい取り、捨てる。この作業のことを、アク取りと呼ぶ。また、もっぱらアク取りに用いる網杓子のことも、そう呼ぶことがある。アク取り用の網杓子は、通常のものよりも目が細かくなっていることが多い。アクはすくい取る際にお玉などにへばりつくので、水を入れたボウルに潜らせるとよい。多人数で鍋物を囲む際にその場を仕切る人を「鍋奉行」と呼ぶことになぞらえ、率先してアクを取る人のことを「アク代官」と呼ぶことがある[6]

卵白を用いてスープ中のアクを凝固させたうえで布で濾すなどして取り除くことを、「アク引き」という[7]。フランス料理では、コンソメを作るときに泡立てた卵白を加えて沸騰させるが、こうすることで卵白が不味(ふみ)成分や濁りの成分とともに凝固し、簡単に取り除ける。これは肉類を煮たときのアクの発生原理を極端にしていることになる。つまり、肉類から煮汁に溶け出して熱変性で凝固するとき、さまざまな不味の成分や濁りの成分を吸着する水溶性タンパク質の供給を、泡立てた卵白を加えることで極端に多くし、除去したい成分の吸着率を大幅に高くしているのである。なお、「アク引き」は玉杓子を用いてアクを取り除くことを指すこともある[7]

アク取りは調理の過程で重要な作業であるが、アクはミネラルなどの旨味成分も含んでいることが多いので、過度のアク取りは栄養の面からも風味の面からもあまり好ましくない。よってアクは、ある程度は残しておいた方が良い。